都遊協の資料によれば雀球が初めて登場したのは1958年ということになっている。
雀球といえば藤商事、藤商事と言えば雀球というぐらい藤商事の代名詞でした。今はパチンコ機しか作っていませんが、アレンジボールや雀球メーカーとしては有名だったのです。たぶん雀球1号機は藤商事からリリースされていると思う。最後の雀球はサミーからリリースされた雀魔王シリーズだったと記憶しているが、TV式雀球はほとんど打った記憶がない。

打ち込んだのはむろん機械式である。なかでも好んで打ったのは藤商事から1976年にリリースされたマジコンである。
当時は朝から雀球屋へ開店と同時に入り、ダラダラ雀球を打って時間を潰し、麻雀のメンツが揃えば雀荘へ行き、夜まで麻雀を打つという生活を続けていました。

雀球屋には換金の制度はなかったので、コインは3枚ほど残し(次の日に使う)、全てタバコに交換していました。そのタバコを雀荘や行き付けの喫茶店に卸し小銭稼ぎをしていました。

雀球のゲーム性は14発の玉を打ち、配牌とします。その後10回まで牌を切り、10回以内で上がれば手役に応じてコインが払い出されます。全自動になってからは精算ボタンを押せば、払い出されましたが、以前は台ランプを点灯し、店員がキーでガチャガチャと払い出していたのです。
ドラ牌表示は後期の機械では盤面に表示されるものもありましたが、当時は通路上部や盤面上に表示板に記載されていました。通常は入り難い3万や7ピンが選ばれましたが、まれに9万や1ピンが表示される事もあり、その場合は盤面中央を狙ったものでした。

雀球にも台のデキの善し悪しはあり、盤面左右のポッケトに吸い込まれた玉が素直な玉筋を描くものが好きでした。また盤面中央の釘はやや下げ調整でストレートに真下に落ちる台を好んでいました。

基本はレールから玉をこぼして大三元を狙うか、ポケットに玉を入れピンズのチンイツを狙っておりました。台のクセを掴み、待ちを狙いやすい牌にするのが上がりのコツです。

白や1万、4、5ピン辺りの聴牌ならほぼ上がりきりました。

雀球の盤面画像をみたい方は書きサイトへどうぞ。

http://777.nifty.com/column/thu/index.jsp?NO=9


ではでは

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